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□…――― diary ―――…□



2002/08/21a

時代は移り変わる…

母校で夏休み中に部活がある、そう聞いて先輩、後輩と共に足を向けました。

後輩 :「こんちわー」
紀弘 :「こんちわー」
先輩 :「こんちわー」
一年生:「……こんにちわ…」
二年生:「………」

はい、これで会話が途切れました。
部室へ入室して早々固まってしまったのです。
…というのもですね、重い、重いんですよ、空気。
部員は誰一人として会話をする者は無く、暗い…
僕は完全に気後れしてしまいました。
…あぁ〜ブラックオーラが出ちゃってますよぉ。
いや、僕にもそういった人を寄せ付けないオーラはあります。
オタクですし、ヒッキーですし、自己犠牲と自嘲が好きな人間です。
ですが、本人が普段オープンにしてる為に”壁”は無いと思い… たい(切実
では、彼等はどうか。
無。
………
話しかけれる要素が無い。
多分、そういう事です。
会話をすれば多少でも中身が見えるかもしれない。
会話をすれば何を望み、何を見ているのかが解るかもしれません。
そんな中、一人だけKID制作のギャルゲーを持参するオタクがいました。
ギャルゲーを元にHP制作をしていました。
うむ、なかなか良い心がけです。
PS版だったので寸止めエロアニメと変わりませんが…
まぁ、それは”ときめも”よりはマシかと許容範囲に指定します、渋々。
僕はギャルゲーはやらぬ主義なのです。
エロゲーをッ!
シナリオを楽しむ為のエロゲーじゃないですかッ!
そもそも18禁であるのは”エロ”があるからじゃないと僕は思ってます。
別にベッドシーンなんて必要ありません。
むしろ女性が出てくる必要は… 偶にありますけど、ギリギリ耐えられます。
男はヤですよ、男は。
例えば、18歳以下に見せちゃいけない表現です。
精神衛生上にも”知ってはいけない情報”があります。
人の欲望や、魂を破壊されかねない感動巨編…
あり得ない狂気、あってはいけない価値観…
センチメンタルになる必要も、無い欲望を知ってしまう必要もありません。
ましてや価値観を壊されては少年少女の時代、どうなってしまうのでしょうか。
だからこそ、”18禁”なんです。
↑は過大評価し過ぎの感もありますが、それだけ僕は影響されてるって事になります。
一番それを思い知らされたのは”好き好き大好き”というゲームでしょうか。
あぁ、これだけの表現をコンシューマーじゃ出来ないだろうな、って。
それだけ、プレイして良かったと思える作品があるという事です。
ですが、コンシューマーは…
制限されてませんか?
言葉であったり、表現方法であったりと。
確かにエロゲーでの名作はコンシューマーへ降りてくる場合があります。
しかしッ…
結構許せなかったりします。
これはコンシューマーからPCへ移行した身だからこその矛盾かもしれません。
コンシューマーを性能評価した場合、グリグリ動くのは強いですね。
ユーザーも確保しやすいですから大きな企画も立てられますね。
では、PCは?
PCの場合、テキストやシミュレーションに強いのでは無いでしょうか。
マウス/キーボードとコントローラーの差でしょう。
これは昔ながらの伝統です。
…さて、全く関係のない方向へ話が流れてしまいました…
即ち、ギャルゲーという生温い湯に浸かる君でも同じ同士には違いない、共に生きよう。
…違うかなw
これなら彼とは会話が、出来そう…?

紀弘 :「それをネタにして更新してるんだ?」
一年生:「…ぇぇ、そうです…」
紀弘 :「使ってるソフトはビルダー? タグ打ちはしないんだ。」
一年生:「…ぇぇ…」

…しくじりました。
つまるところ、”カエレ”と言ってる訳ですよ、彼。
もう卒業してから数年経ってますし、今の三年生ですら僕の代では会っていません。
それですら偶に皆で部活へ押し掛け、ようやく知り合いになったのです。
考えてみればそれでも三年生はそこそこいけました。
世代が変わる毎にOBは追い出される運命にあるのでしょうか。
悲しい限りです。
…激しく居づらい。
40分くらい部室で粘りましたけど…

部長 :「では、終わりにしますので片付けて下さい。」

この一言で終わりました。
僕らが現役の頃は”部活の終了”というのがありませんでした。
延々と談話してたり、プログラムを組んでたり…
部費を増やす為に先生を折る方法を考えたり…
時間は幾らでも必要だったのです。
しかし、時代は変わりました。
人は裕福になると腐るのでしょうか。
DOS/V機が無いおかげでPC-98シリーズしか使えなかった時代…
今はWindowsがあってキチンと動作する環境。
にも関わらず、”やる気力”が無いとは…
”やる気力”は暴走、機器が素晴らしく古い… それとは正反対です。
人間、貧困の中光を掴み取ろうとする活力こそが青春なんでしょう。
青春と言わず、魂の鼓動であると思いたいです。
気力のない人間、意志のない人間、自分の存在を忘れた人間は生きていますか?
精神的な事は常に移り変わりますから何とも言えません。
ですが、”生きてない”状態になったのには理由がある筈です。
何らかしらの理由を取り払い、意志のある人間になって欲しいのです。
そしたらさ、楽しいと思いません?
少なくとも無趣味ではいられなくなると思いますよ。

この場を借りて随分と言ってますが、これは批判です。
何事にも”餓え”が必要であり、全て満たさせてしまった僕等への。
代を重ねる毎に物は良くなります。
そう、先人たる僕等が四苦八苦するの訳ですから。
逆にそれが悔やまれる結果を生むとも知らず。
例え自分等での基準でいても、それが後世へ受け継がれるとは限らない。
受け継ぐ者が居なければ、受け継ぐ物が無ければ何も残らない。
どちらが欠けても、いけなかったのです。
僕等は受け継ぐ者を得ましたが、下の代には物が重すぎたのかもしれません。
例えばそれは技術などではなく、”活気”だったり。

また一つ、死に切れぬ理由が出来ましたよw


2002/08/22

チィッ!クソ餓鬼めがァ〜

今さっき妹と会話をしていました。
昼飯後だというのに腹立たしいコトこの上無く。
奴は車の免許が取りたいそうです。

妹?:「だから、車が欲しい訳ッ!解る?」
紀弘:「あー解る解る。でもな、ウチの経済的状況を良く考えろ。」
妹?:「それは借金して貰うから良いの。」
紀弘:「馬鹿言え。俺の授業料、お前の初年度入学費用、家のローン、五人家族の飯代。」
紀弘:「ウチは普通の家より倍の食費掛かってるんだぞ。普通にそりゃ無理だ。」
妹?:「そんなの知らないよッ」
紀弘:「車を移動手段として取るか、それとも趣味として取るか、お前はどっちなんだ?」
妹?:「趣味? 移動手段、何それ? 紀弘は車に興味ないからそんなコト言えるんだよ!」
紀弘:「違う、俺だって車に興味はある。ただ、今はその時じゃないだけだ。」
紀弘:「友達が乗ってるから、だから欲しいだけなんじゃないのか?」
妹?:「友達は関係ないよッ!」
妹?:「ずっと我慢してきたんだよ? もう免許取れる歳なんだから乗ったって良いじゃない!」
紀弘:「本当にそう思うなら自分で貯めるんだな、車も教習所費用も。」
妹?:「そんな金あるわけないじゃないッ。」
紀弘:「お前が服に掛けてる金、それを全て回せば良いだろう?」
妹?:「服は欲しいから駄目なのッ!でも車も欲しいんだよ。」

全く、話になりません。
高校生というのは、ちと暴走し過ぎと違いますかね?
若さ故の奔りっぷりは許せましょう。
ですが、これはどういうコトか。
現実と理想を相互比較出来ぬ姿は我が妹ながら悲しいです。
年上から見ると誰しもそうなのでしょう。
僕も大人から見れば矛盾だらけでしょうし、自分でもそれは解ってるコトです。
ただ、僕は後ろを見るコトには長けてます、バッチリですよ。
前を見れないというのも問題ですが、前しか見ないのもまた問題です。
妹に今回は”出来ぬコト”を強く教え込んだつもりなんですけど。
効果無かったのかな〜
でも… だからこそ、でしょうか。
前しか見ない人生でも良いと思ってしまうんです。
出来れば妹には僕のように生きて欲しく無い。
妹には馬鹿を突き通して欲しいのです。
馬鹿な親ほどその子は強く生きようとします。
そうやって子供に囲まれながら、妹は成功の人生を歩むでしょう。
親を捨て、兄を捨て、独り何処か遠くへ行ってしまう。

そんな背を暖かく見守るも兄の役割、でしょうか。


2002/08/28

理由

書きたい事が沢山あります。
本当なら試験期間という事で少なく書く筈なのですが、そうもいきません。
書かざるを得ない、書かなくてはいけないのです。
僕にはその義務がある。
そう感じてなりません。

尊敬する義理のオジサンが死にました。
でも、涙が出ません。
悔しいだけです。
お葬式の間も何も感じませんでした。
人の死には理由があります。
事故や病気。
それは原因です。
ですが、オジサンの死は僕にとってどんな理由があったのか…
人の運命には、与えられるべき理由が存在します。
生まれくる理由。
死んで逝く理由。
では、僕にとって。
僕の人生に何らかしらの影響があるからオジサンの死はあるのでしょうか。
当然、オジサンの死はオジサンの為にあります。
しかし、あくまで”自分”という観点から見た場合にでも理由は存在すると思うのです。
オジサンと別れ。
生前、沢山の言葉を貰いました。
頑固で、優しく、生き方に不器用なオジサンは僕に良く言ってくれました。

「紀弘君は鉱物が好きだったね。僕には見えるよ? 紀弘君が大理石や石灰岩を使った鉱物の家を造る建築家としての姿が。」
「紀弘君はPCが得意だったね、やっぱり今はインターネットなんてやってるのかな? 僕もやってるけど将来はホームページなんて作ってみせてよ。」

人の夢を、批判するでもなく…
後押ししてくれるような人でした。
…涙出てきました。
例え馬鹿げた小さな話であっても、僕にとっては大切だろうと考えていたのでしょう。
僕はオジサンに会う度に進路を変更して、さぞかし困惑した筈です。
それでも、血も繋がっていない僕の事を考えていてくれた。
あの人は優しすぎました。
人を責めた事など一度もないそうです。

オジサンが最期、遺族に何を与えたか。
それは解りません。
ですが、僕は何か、確実な何かを得た気がします。
死は肉体の滅びです。
記憶は僕の中で生き続けましょう。

無駄になんて、させやしませんから。


2002/08/30

言葉

僕はここ二年… ですか。
嫌いな言葉があります。
”頑張る”
大学を辞める云々って話の頃、この言葉を言う度に苦痛を感じました。
それからは心の隅には置いていましたが、それを忘れていました。
使い勝手の良い言葉ですし、気付いたら口から出てしまうコトも良くあるでしょう。
ですが、非常に薄い意味の言葉だと思いません?
他人に対しても、自分に対しても。
例え宣言したり、その言葉で励まされても余り効果はない筈です。

「資格を取る為に頑張ります!」

馬鹿みたいです。
決意でもなく、約束でもなく、そのまま”会話”としての言葉ではありませんか?
捻くれてると言われるでしょうが、こればかりは暫く治りそうにありません。
「頑張ります!」を自分が発し、コトが上手くいったら考えても良いですが…
嫌いなのには理由があります。
僕が安直に良く使うからです。
僕が安直に良く言われるからです。
僕の周りの連中がそれで傷付いているからです。
僕の周りの連中がそれで傷付けているからです。
言われて嬉しい単語ですか?
自分や他人を追いつめるコトが好きな人は、それで良いかもしれませんけど…
ですから、僕はなるべく使わないようにしています。
出来るなら「出来る」と、するなら「する」とハッキリ言ってます。
言葉が重荷になるなんて嫌ですから。

皆さんも嫌いな言葉ってありますか?


2002/11/03

不幸は重なる

いつものように友人とゲームで遊んでいると、
母上が切羽詰まった顔で祖父の死を僕に話しました。
オジサンが死んでまだ半年も経たないと言うのに、不幸は続きますね。
この日は祖父の家に行く準備に追われました。

世代交代を感じる歳になりました。


2002/11/04〜

隣組

隣組と呼ばれたモノを知っているでしょうか。
僕が住む地や、都心、その他しきたりの無い場所には存在しないモノ。
日本で戦争があった時代、物資や硬貨を国に納めさせる為に国が作ったモノです。
それは… つまり、近所が近所を監視するシステム。
誰が違反者でないか、自分等で自分等を正当化させる訳です。
隣組はそういった近所同士の繋がりになります。
祖父の死を聞き、葬式の準備に向かった僕等でしたが、
祖父の住むその地には隣組がありました。
昔ながらのしきたり、それは葬式にまで及んでいたのです。
葬式では親族に手間を取らせず、近所で全てをやってしまうとのコト。
話を聞いたところ、親族は泣いていれば良い、後は任せろ、だそうです。
確かに家族の死に心を痛めてる者にとって、それは有り難い。
葬式なんて考えたくも無いでしょうし、そんな心のゆとりも無いでしょう。
僕は初め、随分と納得しました。
ですが、その場で状況を見てると疑問に思う点もいくつか。
近所の好意で進めてくれてる準備作業。
しかし、僕等が手伝おうとすると断固とした態度で断られるのです。
どうも習慣化し、頭の固い老人方の中で”きまり”として固執してるようなのです。
本来の意図は戦争から来て、戦争が終わり”良き近所の集まり”として成り立ち、
今ではその意味すら失われてしまっている。
「昔は良かった」偶に老人方から聞きますが、これは?
老人方だって忘れてるコトがあるのでは無いですか?
等と生意気なコトをずっと考えていたり(ぉ

さて、前置きが微妙に長くなりました。
期間が数日に渡るのでその場で書きたいコトを書いてると要領を得ないのです。
僕の技術力が足りないだけですが、その点ご容赦。
…あと、気分がニュートラルなので暗い文章なのに笑いを書いてる気もします。

一日目:

常に笑っていた祖父、長男である僕は初めての孫になります。
喘息持ちで、身体も弱かった僕を祖父は随分と可愛がってくれました。
ですが、不器用で愛情表現の下手だったのでしょう。
ことある毎に僕に小遣いをくれました。
これが、祖父にとっては僕との共通点だったのでしょうか。
幼少期…
お金を貰えるコトによって自分の好きなモノが買える。
僕は嬉しかったです、祖父と会うコトによって小遣いが貰えるのですから。
青年期…
お金を与えるコトによって祖父は自分で満足している。
僕は悲しかったです、祖父は僕が小遣いを遠慮する理由を知らない。
何ででしょうね、僕は捻くれてますかね?
祖父に対し、愛情より悲しさの方が先に立ちます。
次第に自分から祖父に会いたい、と思わなくなりました。
例え、祖父が悲しいくらいに僕を好いていてくれていたとしても… 
そんな祖父が脳の血管の破裂で倒れました。
確か、脳卒中とか言う病状です。
そして、脳の病は人の人格を奪う病気なのです。
高血圧な上に糖尿病、それにも関わらず変えない食生活、煙草、飲酒。
病院での入院は脳の手術ではなく、食生活の正常化です。
一年前に病院へ見舞いに行った時、顔色も良く元気そうでした。
脳はもう、言葉も話せない状態。
話しかけましたが、僕を僕とは解らない。
病状が悪化してない時は、人を人としては認識できてました。
僕が電話をすると、泣いて喜んでいたのを覚えています。
ですから…
「貴方があんなにも可愛がった孫をお忘れですか?」
と悲しくなるのです。
やるせないだけです。
今でも思うコトは… 今だからこそ思えるのかもしれませんが…
祖父が祖父である内に、酒でも飲み交わしたかったですよ。
祖父が倒れたのは六年前です。

祖父を看病、世話をしていたのは膝も悪く糖尿病の祖母。
共に食生活の乱れが目立ち、僕等家族は常に忠告してきました。
痩せれば膝の負担も消え、糖尿病の心配も減る。
それも、まぁ… 本人の意思です。
老人の楽しみを奪ってはいけない、と納得させるようにしてます。
そんな祖母が看病するのですから、当然部屋は荒れ放題です。
自分の身体を動かすだけでも汗を流す程ですから。
埃もたまります、掃除はいい加減です。
そして、僕は喘息… アレルギーという潔癖症障害を持っています。
マスク持参の上に薬を常備し、コタツにいました。
本当は手伝う予定だったのですが、隣組が邪魔で動けないのです。
父や母、祖母までもが何もさせて貰えませんでした。
誰しもが悲しむ、より長い闘病生活に疲れていたのかもしれません。
(一緒に暮らす父方の祖母は部屋が混雑するという理由で家に置いてきました)
長となるまとめ役が居ない隣組の”準備”は随分と時間が掛かりました。
一人がお茶の銘柄に付いて案を上げると、反対意見が四つくらい。
こんな感じで物事を決めるモノですから、お茶を決めるのに30分掛かったそうです。
暇だった僕は従姉妹二人と世間話を五時間くらいしてました。
妹の方とは良く話すのですが、姉の方とは数年ぶりの長話になりました。
影もあり、プライドの強い姉と話すのは苦手だったのです。
話そうとすると逃げてしまうのでw
こんな場が無ければ一生溝があったままだったのかもしれません。
楽しい会話でした。
夜になり、夕食の時間になる前に僕は近くの旅館へ移動。
”味の素”や良く解らない調理のされ方をした晩飯を食べずに済みました。
…まぁ、これは冗談ですが。
掃除のしようのない部屋で寝るコトが出来なかっただけです。
外で寝ようにも気温が−2℃ですし、厳しかったのです。
旅館は年数が入ってはいましたが、キチンと管理されていました。
所々傷や古びた場所があっても、掃除や補修はされていたのです。
布団も定期的に干してありましたので、安心して寝れました。
温泉もありましたし。
二回入りました。

二日目:

朝食は納豆に鮭、ウィンナー、サラダ、みそ汁… とバイキング方式。
まぁ、普通かなぁ… とまたクソ生意気に。
飯は美味い方が良いです。
食べ終わると温泉に入りました、一番風呂。
こうしてると遊びに来たんじゃないか? と勘違いしてしまいそうでした。
そもそも避難を目的に旅館へ来たのです。
旅館から出て、祖母の家へ。
祖母は祖父と同じく、人が良いです。
自分の身を省みず、人の為に動きます。
その為、隣組の働きをほとんど寝ずに見ていたようです。
祖母の長男である叔父さんも準備の要である為、疲労が滲み出ていました。
人が数十人も出入りする小さな家、普通に寝れる筈が無いのです。
会議する場所、人の出入りが多い避難場所、台所、祭壇。
二日目になると祭壇周辺の周りも変わってきました。
華やかに、ね。
旅館から出て来る間に買ったビールやカメラ、必要な物全般を片付け、
この日の僕の役割が決まりました。
カメラマン。
作業風景を撮れ、とのコトでした。
時間をずらしながら撮ってる間、やはり暇です。
従姉妹達とクロスワードパズルを解いてました。
長時間、何問も解いたのは初めてですが…
三人集まれば文殊の知恵、とはホントですね。
非常に楽しめました。
まぁ、専門学生と大学生、中学生の力です。
途中、叔父さんや父に訊いた所もありますけどw
晩飯になると、おいなりさんとみそ汁が出ました。
出ました…
投げたくなるくらい不味かったです、みそ汁…
どうも”味の素”が口に合わないらしいです。
デリケートなんですよ。
松屋のみそ汁は歓迎しますが(ぇ
旅館へ行くと布団や着物(名称、解りません…)が綺麗になってたりして、嬉しい限りです。
因みに、また温泉に二回入りました。
夜はビールを買って飲んだ所、喘息の発作が起きます。
幾らマスクをしていたと言っても、駄目なのでしょう。
薬を使って寝ました。

三日目:

朝一番にやっぱり温泉へ。
朝食は昨日と全く同じだったりして、経費削減でしょうね。
祖母の家では相変わらずクロスワードパズルに没頭する従姉妹二人。
暇なんです。
ですが、この日は葬式と告別式が待ってます。
遊んでられないのです。
背広に着替え、カメラを手に場面場面を写していきました。
葬式が始まる前、父や叔父、母や叔母は背広の上から喪服へ着替えました。
これはその地での”しきたり”らしく、麻の喪服です。
麻100%でゴワゴワの品。
住職が登場し、念仏を唱えます。
最近の住職はマイクを使うみたいです。
礼として、正座をしましたが30分で足が痺れました。
さすがに無理です。
そのまま告別式を済ませ、途中で家に帰りました。

冷たい人間ですね


2002/11/07

ちょっち発作気味

朝起きると心臓がバクバク。
極寒でした。
僕が住む地が山の上という点も寒さに拍車を掛けているのでしょうが…
最近は滅法寒いです。
ホント、皆さん身体に気を付けて下さいね。
風邪でも引いたら大変ですよ?
苦しいですよ?
それと喘息持ちの方、季節の変わり目です。
発作を起こす前にステロイド(薬の種類)を使っておきましょう。
…僕は遅かったですが(ぉ
先日の葬式で大分埃を吸い、なおかつこの温度変化。
長年の経験からこの日は危ないと気付いていました。
そこで即効性のあるメプチン(薬の種類)を錠剤を飲んでおいたのです。
万が一、の為に。
(どちらかと言うと、八割方当たるんですけどね…)
家を出、電車に乗る頃に案の定発作が起きました。
さっすが僕です、長年病なだけある(嬉しくないけど
そこそこ苦しい呼吸困難。
ヒューヒューと嬉しい呼吸音。
薬の効果が現れるのは最低でも30分以降。
飲んだのが5分前。
………
久しぶりに危機感を感じちゃいました♪
悪化したら倒れるかも、とか、最悪入院かよ? とか。
あははは。

意外としぶといこの身体は嫌いじゃない


2003/01/09

良いこと

良いことするときっと自分にも良いことがある―――
そんな話を良く耳にしませんか?
ホントに良いことあるの? って問い質したくなりますよね。
だって、言葉通りに考えると妙な構造になりますから。
「他人のパスポートを拾い交番へ」
これは良いことですよ。
ですが、これを行ったかといって下のようにはなりません。
「自分がパスポートを落としても交番に行けば届いてる」
当たり前ですよね。
「良いこと」をしてもその行動に対しではなく、精神に対して報酬が出るのですから。
「良いこと」をすればその人の人徳、考え方、が上がります。
結果的に言えば、人徳がある人だから「良いこと」を出来るのでしょう。
善良な心を持つから「良いこと」を行えるのでしょう。
ですから、「良いこと」をしても善良な人になれるとは限らないのです。
あくまでもその行動が染みつき、無意識に行えた時、真に良き人となれる。

さて、長ったらしく蘊蓄を垂れてしまったんですけど。
これには訳があります、多少ね。
今年の年賀状は余り書く気にはなれませんでした。
去年は良いことばかりではありませんでしたし、インクも切れてて面倒だったんです。
ですから、年賀状が来てから出すという怠惰で傲慢な方法を取りました。
すると当然ですが、僕から送られてくるであろう年賀状は相当後になります。
随分と馬鹿なことやってるな、と思いつつ今日は年賀状を書いてました。
来るであろう人にはさっさと送るべきです。
書き終わり、犬の散歩がてら書いた年賀状を持参しました。
ポストに入れて出すつもりだったんです。
ですが、歩く途中で一枚の紙を見つけてしまいました。
年賀状です。
坂に続くつつじの上にポツンと一枚。
住所を見るとまだ送られてない物でした。
まぁ、一緒に送っても良いだろうと思ったんです。
そのまま投げるのは簡単ですが、良心が痛みそうですし。
つまり、僕には投げれなかったんです。
あぁ、甘ちゃんだなぁ… と思いましたよ自分でも。。
裏に印刷された家族写真とかね。
見る程に。
自分が善人か、悪人か、それすらも解りません。
ただ、甘い。
それだけ。

何とも馬鹿げた話


2003/03/07a

卒業式

今、02:22です。
ぞろ目。
フヘヘヘヘヘヘヘヘ…
…まぁ、そんなことは全く持って関係無いのですけれども。
今日、妹?達の卒業式だそうなのでね。
一応。
妹?は僕の母校、つまり同じ高校に通ってるのです。
ちょっと会いたい(先生方に)気もします。
ですが、折角の旅立ちの場。
僕のようなOBがノコノコ出ていって良いことはありません。
卒業する彼等に幸アレ、そう眺めていなければいけないのでしょうね。

僕は部活の方へ身を入れすぎたのか、属していたPC部には愛着があります。
あの場所、あそこにいた部員達。
行ってやりたいのか、自分が行きたいのか。
なぁに、単に僕が行きたいだけです。
部員達に、専門学校で習った… その専門学校の同じ学科の奴らなら誰でも知ってそうな知識を見せびらかし、アホが井の中の蛙だとも知らずに有頂天になりたいのですよ。
先輩、先輩と呼ばれ、自分に出来る限りのことを教えてしまうでしょう。
現に僕はそうして来ました。
見ているだけでは居たたまれずに。
この僕の偽善的な心が―――
彼 等 の 力 に 少 し で も な れ た な ら な、って。
何て、虚しい。
だから… 行かない方が良い。
例え、先輩として教えられることがあったとしても。
彼等がそれを望んだとしても。
OBが語れば語るだけ、下の者は弱くなる。
自分で判断出来る思考能力を失ってしまう。
つまり、何ですか…
OBになった時点から、過去を振り返ることは禁忌なんです。
干渉することは罪ですらあると思います。
道は切り開くもの。
進んだ分だけ、力になります。
それを先輩が後輩の為にと道を敷いてしまったら、何と堅苦しいことか。
そして、僕は禁忌を犯した。

僕が高三の頃の後輩、それは既に卒業しています。
今回卒業するのはOBになって一年目の後輩。
OB一年の頃、高二になった後輩達を見に何度となく脚を運び、その時見た一年生。
ようは、僕が相手の顔を知り、相手も僕のことを知っている最後の学年。
今年で最後です。
これで、完全に母校と区切りを着けられます。
縁切りではありません。
次行く時、秋の文化祭にはただの一般市民として参加出来るということです。
長かったなぁ、と感じます。
何はともあれ、ご卒業おめでとうございます。
飲み会とかで会いたいものです。

あ〜話題が暗くなってしまいました。
申し訳ありません、過去を振り返ると暗くなる癖があるんです(それって鬱病?
余りこういうことは書きたくないのですけどね…
だから、酷いときは文章自体を破棄してしまう場合もあります。
今回は途中で一端休憩したので暴走せずに済みましたが…
なるべく笑い事だけを書いていければと思います。

さて。
母校についての卒業式だけを書くつもりは毛頭ありません。
もう一つ。
二つ?
いや、三つ(三つ目は書かないけど
今僕が通っている専門学校の同期のうち、二年制の彼等。
先日卒業式が行われたようです。
おめでとうございます。
この場を借りて祝福を。
今までありがとうございました。
そして、これからも宜しくお願いします。
初めから解っていたこととは言え、それでお別れなんて寂しすぎますから。

ぇー
これは、ラム… 我が友ラムサス君が卒業したそうです。
留年間際だったそうで、ホントにもぅ…
元気ならそれで良いんですけどね。
まさか、そのまま浪人するとは―――
専門でも良いと言ったんですけどね、本人が大学行きたいとかで。
僕が大学行って失敗してる分、気分は微妙でした。
それでも、何とか卒業してくれたので良しです。
おめでとー とか何とやら。

全ての者に幸アレ


2003/04/05



零、と言いますと何を連想されるでしょうか。
零度。
寒い。
絶対零度…
この絶対的な数字はに魔力があると言われてます。
全てを無に帰する何か。
魅了されますよね。
さて、何故こんな話をするかと言いますと。
今、僕はソフトウェア技術者試験の為に勉強してます。
まぁ、学校で、ですけどね。
午前、午後T、午後Uと三段階に分けられたテスト。
その午後Uのテストで―――
零点。
自分で採点したので、小さく、軽く「0」をサッと。
こんな点数を取ったのは、久方ぶりです。
小学校以来だと思います。
…あ、大学辞める前にも取ったかな。
ある意味、諦めの着く数字ですね。
そのテストの平均点はまだ出てませんが、大多数の人が撃沈したようです。
問題文が何を書いてるかすら微妙でした。
ってことは、低Levelの大多数の人が受からない訳で。
必死に勉強して、受からなければ要らぬ知識。
何の為に勉強してるのか、非常に時間の無駄を感じます。
就職活動も目の前に迫ってきてます。
当初の予定だったシステムエンジニアからカスタマーエンジニアへと目標を変えました。
…と。
そうなると、情報系の知識も必要には必要なんですが…
電気の知識が必要になるんですよ。
持ち得てない知識。
少し危機感を感じてます。
やるなら電気の方を勉強するべきではないのか、と。
そんなこんなで、ソフトウェア技術者試験はほぼ諦めてます。
学校で勉強はしてますが、やる気が起きないのです。
何と言いますか。
熱が無い。
「よーしやるかッ!」という魅力を感じなくなりました。
あぁ、初めから受かる気はなんてありませんでしたっけ。
友人等と小説の話なんてすると「っしゃ、世界観考えるか!」と燃えるんですけどね。
でも、最近考えるのは就職した後のことです。
仕事をして、仕事に関して勉強して、残りの時間で小説書いて…
そんな生活を出来るのだろうか、って。
なかなか、難しそうです。
今年、就職していった友人等が今まで通りの生活を維持してるのが信じられません。
凄いエネルギーだと思います。
自分がそうなる時、果たしてどうなるのか。
…単に不安なだけかもしれませんね。
臆病ですから。

真っ当な日記は愚痴になる、と