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□…――― diary ―――…□



2003/05/25

今日は真っ当に書きますよ

先日の早朝、社会人の通勤時間。
地元の駅前で二人の男性が何かを配っていました。
どうせティッシュか広告等のアルバイトだろうと遠目ながら見ていたんですが、歩を進めるにつれて驚愕の事実を目の当たりとすることになりました。
聖書。
そう、一人一人に聖書を配っていたのです。
ハードカバーの、安くても10kはするかと思われる品。
「要らねぇ」とかそう思う以前に、関心してしまいました。
そこまでして教えを広めたいのか、と。
値段も馬鹿にならないでしょう。
惜しむ気持ちすら感じさせない、清々しい笑顔。
本物です。
すると否応も無しに昔の記憶が蘇ってきました。

日曜日、近所の公園で行われる子供向けのキリスト教講座。
それを青空学校と言いました。
僕が保育園・小学生だった頃になります。
週に一度の集会ではありましたが、子供向けの絵本を読んだり唄を歌ったり。
立派な教えなんぞ全く頭に入りませんでしたけど、唄だけは歌ってた記憶があります。
何せ、シスターが優しかったものですから。
おっとりとした、時代が違えば「色気漂う美人」でありました。
パワフルな人でして「皆さん、日曜日は青空学校の日です。楽しくお勉強をしましょう」と、拡声器を片手に近所中を廻るものですから知らない人は居なかったと言っていいでしょう。
僕の彼女に対する気持ちとしては、色々と恥ずかしいことで一杯です。
と言いますのも、訊いてはいけないようなことを子供の無邪気さに任せて何でもかんでもぶつけていたような気がするのです。
ある意味、今より変態ですね。
あぁ。
でも、その度にビンタを貰ってたような…
…それはそれ。
子供の戯れ言と、今となっては流したいところです。
記憶も曖昧ですし。
ホント、何訊いたんだろうでしょうね。
ある意味、これが僕のモラルの原点となる場所かも知れません。
散々怒られて、丸まっていったという感じでしょうか。
さて。
とある日のことなのですが、新約聖書を彼女らは売っていました。
興味本位で親にねだり、買って貰いました。
価格は今でも覚えています、文庫本の286円。
新聞紙よりも薄い紙で、文字も新聞よりも小さい。
しかも小学生に読める漢字じゃありません。
二日かかって2ページほど。
直ぐに諦めてしまいました。

もう一つお話があります。
小学校三年・四年の担任の先生は中年のくせに完全な白髪のナイスガイ。
いつもニコニコしてる、心優しい先生でした。
喘息で体育に出席できない僕をみかねて先生は言いました。
「久世。お前、これ読んでみないか?」
旧約聖書、漫画版。
随分読んだのか手垢も付いてボロボロです。
借りることとなり、家に持ち替えりました。
すると母上が激怒。
「何で借りてきちゃったの!?」
サッパリ意味が解らなかったのですが、社会的常識として借りた物は新品で返すらしいのです。
勿論、今ではそんなことしませんけどね。
とまぁ、そういう訳で新品の品を本屋で買うという騒動となりました。
これも妙に値段を覚えています、ハードカバーで3800円。
高い。
借りた聖書は、ある程度読んで投げてしまいました。
キリスト教で面白いのはモーセからイエス様までですね。

ともかく。
古き日の想い出により、キリスト教には感慨深いものがあるんです。
第一。
聖書ってのは、その名の通り「聖」なる「書」であります。
棄てる訳にはいきません。
悪いじゃないですか、信じてる方に。
棄てれないということは、つまり…
簡単に貰い受ける訳にいかないのです。
それに、僕が聖書を二冊。
どう考えても親は数冊持っています(我が家は神道を基本としています)
家に何冊もあってどうするのですか。
棄てれないんですよ?
まぁ、気持ちの問題かも知れませんけどね。
仏教の本であれば笑って棄てちゃいそうですし。
そういう点で、キリスト教には根本とした刷り込み現象が起きてるようです。
それに、今となっては少年時代とは違って汚れてしまってますから。
あのシスターにも、先生にも顔向けできませんね。
すまん、すまん、って。

純粋だった頃もあるってことですよ


2003/05/27

不思議な日

匂いによって人は記憶を呼び覚ます、と一度書いたことがありました。
これは誰しもが知ってることですから何度も話題にするべきではありません。
そうではあるのですが、やはり気になることがありまして。

家に帰る為に、電車に乗ろうとした時でした。
暇だったので何気なく携帯の着信を確認しますと、知らない電話番号があります。
「ある」というよりは「あった」です。
着信時間が昼頃で、それを確認した時間は四時近くでしたから。
初めての悪戯電話かと思って、取りあえず電話をしてみたんです。
半ば、企業からだったらいいなぁ、と願いつつ。
そしたら。
「○○サービス株式会社の○○です」
!?
第一志望であり、予定の時期になっても連絡が来なかった企業。
余りに驚いて社交辞令の一つも言えませんでした。
お忙しいところ申し訳ありません、とか。
度々お電話頂き、誠に申し訳ありません、とか。
そういった相手を気遣うことを忘れて「はい」の連続。
「採用内定とさせて頂きます」と言われたときには―――
「ありがとう、ございますッ!!」などと咆吼してしまいました。
で。
問題があるんですよ。
「あの、二次面接の方はどうなのでしょうか?」
「まだ決まってませんが、その時は連絡します。書類の方を書いておいて下さい」
二次面接があるかどうかも解らない、そんな言い方でした。
どう捉えてよいか解らず、非常に困ったのです。
書類についても届きません。
はてさて、と。
まぁ。
何はともあれ、筆記・面接を通ったことは嬉しいことです。
余りに嬉しかったので友人等に連続メール。
親にも送ったら「浮かれすぎないように」と鉄槌が…

そして、電車の中で異変がありました。
隣に座っていた中年オジサマから懐かしい匂いがしたのです。
それも、最近日記で書いた――― 青空学校のシスターと同じ匂い。
香水なのか、何かは解りませんが、非常に独特な香りなのです。
約十年ぶり。
確かシスターがいる教会、聖書からも同じ匂いがしました。
統一された何かがあるのでしょうか。
もしくは―――
神の使い!?
少年時代では僕にモラルを教え、就職で喘ぐ今では手助けをしてくれたのか…
もし。
例えそれが違ったとしていても、逆の考え方の方が人間楽しいじゃないですか。
神という意識集合体が見てくれている、って。
う〜ん…
それにしても、思い当たる節が幾つもあって… ホントなのかな…
それとも中年オジサマがキリスチャンだった、という説。

悩むうちにオジサマとは対称の位置に、歴史的オバサンが立っていました。
これまた匂いがします。
十五年くらい前に嗅いだ匂い。
少し、ケバイくらいの古き香りです。
でも、確かその人はもう居ません。
遠くへ行ったのか、死んでしまったのか。
名前と顔と、匂いが一致しません。
ただ、どんな雰囲気だった人だったかは解るって感じです。
何となく、もう会えないであろう人。

更に想いを巡らせてると、歴史的オバサンも中年オジサマも降りてしまいました。
そして横で立ってる、中年オバサンと知能障害者。
いぇ、彼女らを蔑む気は全くありません。
むしろ、胸が締め付けられるような悲しみがあります。
では、何かと申しますと。
小学生時代に、そういった人達と接する機会が多かったのです。
僕が通う小学校は全てを受け入れ、特別学級というものがありました。
何とか彼等に給食の当番をさせたり、体育を共にしたりと毎日が戦場でしたね。
力が強いので三人がかりでも抑えられなかったこともあります。
それは人間のタガが外れれば同等の力が出せるということでもあります。
身体も小さく、病弱だった僕にはそれが羨ましかったのでしょう。
また、話の通じる者もいましたから彼等と友達にもなりました。
大変でしたけどね。
そう言えば、偶にそのうちの一人に「紀弘、紀弘!」と呼ばれることがあります。
町中で出会うと、まだ覚えてくれていたのかと嬉しくなります。

電車の中の一時ではあります。
偶然、で済ませるのには惜しいでしょう。
何かが働きかけてるのかな、なんて。
僕が何らかの原因で死に、その走馬燈を客観的に見ている。
そのくらいの時間的流れがありました。
朝の電車の中でも、とある夢の続きが見れましたし。
プログラミングの授業では保存しないで終了してしまうし(関係ない
妙な日です。

キリスチャンにでもなろうかしら?


2003/12/09_a

戯れ言

今日は別段テンションが低いわけでもないのですが、とある方からメールが来まして。
それに本気でレスしてるうちに量が携帯じゃ収まらなくなったので日記にて公開。
序盤から路線変更を繰り替えし、本題のレスとは全く違うものへと変貌。
かなり痛い文に。
うわぁー父上の説教好きな血が半分流れてるぅ〜よ、と実感しました。
加えて、路線変更も父上は当たり前だったなーと擦り付けておきます。
さらにさらに、母上の他力本願っぷりが半分と、ぇーとぇぇーと…
妹?の自己中っぷり!!
これでどうだ、愛の結晶万歳Yeah!
…ごめん、泣けてきた。
それでもupするあたりに僕の愛情を感じ僕を愛してイチャイチャさせて下さい。

社会を楽しく過ごせるコツってのがタイトルらしき本をチラっと今日読みました。
それによると「嫌いな人や苦手な人とは余り関わらず、スルーすることだ」だそうです。
わざわざ対立したり、論争したり、根にもって嫌がらせしたり…
無駄ですね。
体力、知力、精神力、時間、そういった諸々の無駄。
無駄ですから、スルーしましょう―――?
うん、まぁ… 確かに。
楽そうですよねぇ、そういった生き方って。
けれど、僕は人間的であるから論争も対立もします。
いやいや正確に言うなれば出来ないのですよ、自分に正直過ぎて。
自分に取って都合のよい人間や、好意を持てる人間、
はたまた居ても居なくても困らない人間や、自分の利益に繋がる人間。
そういった方としか付き合わないのだとしたら余程の社会的適合者ですよ。
今日読んだ本の作者と同じように、うまーく社会に溶け込んでいけるのでしょうね。
しかしながら何を持って生きてられるのでしょうか。
目標あって自分や他人のために動き、それ以外の人間味を捨てる。
こういった方は今の時代そうは居ないと思いますけど居たら驚嘆ものですよ、ブラボー(棒読み
もう一つ、ストレスを抱え対人恐怖症や鬱になってる方。
僕はこういった方々を世間がフォローするべきだと思うのです。
人をフォローするなんて面倒だぞ!だなんて、まぁまぁ… 後半読んで下さい。
では、逆に何も考えれずに生きている方の場合。
それは――― 逃げ、ではないでしょうか?
自分の価値は人が決める物ではありません。
ありませんが、自分で価値があると判断出来るのでしょうか?
自分を嫌う人間、自分が嫌いな人間、利益にならない人間、
苦しんでいる人間、悩んでいる人間。
どうしますか。
逃げますか。
別段、それが悪いとは… 実は思ってます。
出来ることでしたら、そこで逃げず真っ向から挑んで欲しい。
嫌われているにしろ、嫌っているにしろ、何かしら理由があるのです。
例え利益にならない人間だとしても見捨てるのは可哀想ではないですか。
貴方が利益を望むのなら、そう仕向け、改善させてやることだって出来るはずです。
苦しんでいる方がいれば、見ぬ振りをせず病院へ連れて行きましょう。
連れて行くということは、つまり自分がそうされることだってあるということです。
悩みを抱える方にだって同じです。
周りまわって云々、これは真実ですよ。
違うのは代価として払われるのでなく、社会の仕組みということでしょう。
なるべく、なるべく… こうして混沌とした世界は息づくのです。

さて、人のことを棚に上げて何を言ってるんだこいつは! とお思いの方、ご安心下さい。
僕自身、価値のない人間だととうの昔より自負して自殺も数度行っているようです。
断定できないのは、その時その時に何が嫌で思い立ったか記憶が吹き飛んでいるからです。
ただ、今となってはある程度を真っ当に生きれる考え方を持つことが出来ました。
それはマイナス的な思考が歳と共に加速し、開き直ってしまったからでしょう。
「自分の価値が無ければ人にとっての自分の価値が在ればよい」
残念ながら「生きる」ことを主体としたものですのでそれ以外ではありません。
「自分の価値が低ければ人にとっての自分の価値を高めればよい」
いつかは、こう変えていければと思います。
つまりはアレです。
現在逃亡生活CHU!

Mebius-Ring とは答えの出ない迷路です。
日本ではメビウスの輪とかって言われます。
実はこれ、切ればいいのですよ。
出口が無ければ出口を作ってしまえばいい。
誰が?
自分が、です。
物事の考え方も同じじゃないですかね?
例えば、自分が死ぬと別の場所でその光景を見ている自分が居て、
さらに自分が死ぬとまた別の場所でその光景を見ている自分が居る…
こうしたことです。
実はこれ、保育園児時代に囚われた考えです。
今はもぅ抜けてますよ。
常に死と隣り合わせだったために、こんなことで自分を生かそうとしたのかもしれません。
誰に言っても理解してくれず、非常に困ったものでしたが…
抜けようとしても「正しい」ことが分からず、抜けていいものやらと不安の日々。
もし「違うよ」とか「なるほど」とでも言ってくれる誰かがいたなら…
多少は抜ける結果も変わり、時間も早まったのかなぁ、と。
偶にこうした無駄なことを考えます。

って、うわ。
一時間半近く書いてるよ、コレ…
今日は「永遠のアセリア」を進める予定だったのに。
「Ragnarok Online」もLevel上げせんといかんし。
あぁぁ、録画した月姫も見ないと!!

醒めると悶絶する程の文が出来上がってるわけで _| ̄|○


2004/01/12

思念

…確か、何度もここでHN(ハンドルネーム)についての説明をしたようなしてないような。
その度に「覚えてないけどエロゲーの主人公の名前からだった気がする!」と書いた、はず…
そう、僕は自分のHNについての由来を完全には把握していないのです。
いつの間にか使っていて、エロゲーの主人公にも必ずそれを割り当ててました。
違和感はありませんでしたし、今では自分の本名と同レベルでさえあります。

久世紀弘の「久世」とは後から付けた、とってもどうでもいい苗字です。
けれど、紀弘とはローマ字の「kihiro」を当て字で漢字変換したもの。
即ち「kihiro」こそが僕の真のHNと言えなくもありません。
ぇーと、何が言いたいかサッパリだとは思うんですけど。
まぁ、順序追って説明致します。
「kihiro」を見やすくするために全角+半角スペースにします。
「k i h i r o」
……

僕が数年間片思いを続ける人の名前…
アルファベットの母音だけを取り出します。
先程と同じように全角+半角スペース。
「k§h§r§」
まさか、まさか、まさかねぇ…
そんな馬鹿な。
だって、さすがに名前を使うだなんて。
いや、しかし…
当時はそこまで…?

ちょっとブルー入ってるところです。
取りあえず「仮説1」としておきましょう。
他にも考えることは出来ます。
…出来ますがマジ泣きしそうです。

「仮説2」、漢字を読み間違えた。
昔からなんですが、漢字って好きになれません。
特に特殊な読み方をするようなものや、似た形の字ある漢字。
それらがあるから苦手、なんでしょうねぇ(逃
さて、僕のHNである紀弘は「きひろ」と読みます。
で、エロゲーの主人公って何故か「貴」や「浩」なんか付くことが多いですよね。
「貴」… 「き」
僕が思うに「貴宏」なる主人公がいて「きひろ」と読んだんじゃないかと。
思いっきり「たかひろ」なんですけどね。

ん〜由来ってものについて考えてみると面白いものですね。
本名についてなら、尚のことです。
今日、わざわざ一度取り上げたかもしれない内容を出してみたのは理由があります。
「仮説1」が急に頭に浮かんで来たんですよ。
まさか!? と思って文字を打ちながら自分で検証したってわけです。
いきなり出てくる考え… 啓示に近いものですね。
そこで結びつけたいものが、数日前に起きたとある事件。
千円札を拾いましたッ!!
「だからどうしたんだ? 自分の幸運を皆にひけらかしたいだけか?」
だなんて言わないでね、そんなの嫌。

松屋で新メニューを食べて「不味ゥー」とドアを開けた時のことです。
強い風に吹かれて紙が跳んできました。
お金。
びっくりした僕は中腰で「→↓→BB」コマンド発動。
下から上への二段攻撃。
見事ゲットした千円札。
見回しても咎める者無し。
よし、俺の物!!

実はこのことで、さらに説明しなければならないことがあります。
いつだったか、夜一人で歩いてると妙な気配を感じました。
霊、ってのは具体的過ぎます。
思念。
あ〜なんか居るなぁ… って。
やはり居る時には感じてしまうもので、その時はどうしたものかと考えてました。
そこで取りあえず、僕は一つの提案をしました。
「言いたいことがあるんなら、分かるように示してくれ。そしたらHPで公開するから」
こんなことを一人で宣言してる僕はアレですか、キティですか。
でも、居るんだからショウガナイ。
山葵はあるんだけど… 古式たん(;´д`) ハァハァ
霊感は弱い方だと思うんですけど、偶にこういうことが起きるんです。
宣言すると気配は薄れ、肩の荷が降りた感じがしました。
ただ、数メートル先で見守られてる感覚はありましたが。
でね。
こうして書いてる時もまた、ヒシヒシと感じてるわけで。
ピシッとか、耳鳴りとか… あぁ、風呂場で貧血になったのはそのせいかも。
いい加減書けよコラ、とw

さて、下から上に遡るようになってしまいましたがHNの話へ。
こうした中で突如浮かび上がってきた「仮説1」、なんかありそうです。
思い出させられたのかなぁ、とか。
今が勝機だ、アタックだ! 電話して迫って告白してしまえ!!、とか?
ううん、告白はしたしなぁ…
今から年賀状出すという非常識的行為も僕なら可能ではあるけれど。
そんなことはしません、以前したから(張り倒して下さい

書いたものの、困った日記に。。


2004/04/03_a

偶然と選択と

とある日、と言ってもついこの間のことです。
電車に乗ってると人身事故が起こりました。
「急停車します。急停車します!」
急ブレーキしたため多少揺れました。
ただ、その時の車掌さんの声が切羽詰まったものだったので違和感を感じました。
電車に乗り始めて、初めての人身事故が目の前にあったのです。
「人身事故が起こりました」
「救助します」
「どなたか医者の方いらっしゃいましたらご協力の方をお願いします」
途中途中で車内放送が途切れ、車掌の荒い息づかいが聞こえました。
中にいるサラリーマンは何事もなかったかのように新聞を読んでいます。
酔っ払いの兄ちゃんは寝直してました。
「ったく」
「ふざけんな」
所々で野次の声が飛び交います。
この時期、このご時世に人身事故。
自殺でしょう。
停車した際にエンジンが切られ、冷房はストップしました。
満員電車だったために車内温度は急激に上がります。
誰かが窓を開けました。
すると女の子の絶叫が聞こえました。
女の子なのか女性なのか老女なのか。
年齢不明の断末魔の叫び。
痛い、と明確にイメージさせる声。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
見えないはずの光景。
明確な人の死がそこにありました。
「救助が終わりましたので発車致します」
何も出来ない自分が不甲斐なく。
昔、医者に言われた「君も医者になればいい」という言葉が胸に重く。
人を助けることが嫌いなわけじゃありません。
ただ、それは知恵も能力もない僕には無理です。
自分の道へ進むことしか出来ません。
けれども。
人の不幸を「俺には関係ない」と受け流す大人にはなりたくないのです。
何も出来ないですけど。

気を楽にして今日の話に移ります。
会社の仲間と昼食を採りに松屋へ行きました。
何のことはない日常です。
ところが券売機にいる子供が妙に手際が悪い。
お金を何枚か入れるもののどれを選んでいいか分からないようでした。
そこへ保護者と思われるお婆さんが千円札を渡しました。
お婆さんは既に席取りのために椅子に座っていて、孫に任せていたのでしょう。
二人とも日本語でも英語でもない言葉で話していました。
微笑ましい光景。
子供は千円札を券売機に入れ、焼き豚定食と豚汁を買っていきました。
明らかに選択ミス。
お婆さんの分と自分の分を買わないといけないのでは?
券売機に書かれた日本語を読めないがゆえのイージーミスに感じました。
僕は予定通り豚めしを買ってお婆さんの二つ隣に座ることになります。
その間、お婆さんは孫が食べてるのを優しい顔で見ていました。
子供は五歳〜八歳くらいの少年だったので食べる量的に無理があります。
それでもお婆さんが半分食べるなどの手伝いをしないのは? と考えました。
二人とも痩せてるようには見えませんでしたが、貧困してるのかも知れません。
何故かそう思い込んでしまったら気になって仕方がなくなりました。
僕は自他共に自負する偽善者ですが、飯をおごってやれる程善人ではありません。
いや、裕福ではないと言った方がいいのやら…
半分近くまで食べていた豚めしを眺めつつ、自分の腹持ちを探りつつ。
ここできちんと喰わなかったら研修中に力尽きるなぁ、とか考えつつ。
優柔不断さ全開に豚めしを食い終わってしまいました。
多分、何も感じず触らぬ神に祟りなしと立ち去るのが一般的なのでしょう。
ですが僕は偽善者。
言葉が通じないので表情でジェスチャーして味噌汁をあげました。
お婆さんも困惑しながらも貰ってくれて、ぎこちなく何語かを喋ってました。
あとで「ありがとう」と言われたのだと口の動きで分かりましたけどね。
この後、研修中に喰いすぎによる強い睡眠欲求を覚えます。
シスアドの午後試験だったのですが、ほとんど頭に入りませんでした。
つまり、単純に言えば僕は選択を間違えたのです。
半分喰って気付いたのなら、そこで丼ごとあげるべきだったのです。

もう一つ。
段々話がライト系に移行してるのは何も意味はありません。
時間軸に乗っ取って書いてるだけです。
さて、これも今日の話です。
家に帰る前にコンビニにでも寄って菓子でも食おうかなとか、
そんな無性に何か無駄遣いしたくなるときってあるじゃないですか。
けれどコンビニでは芸がない。
研修で毎日のようにコンビニ通いですから。
そこで家から近いスーパーに行きました。
パンやクッキーを見ていたのですけど、やはりそれではつまらない。
もっとガツンと来るようなチョコのような…
そうだ、チョコを食べよう。
こうして明治チョコレートMACADAMIAをゲット。
ついでにハーゲンダッツのクリスピーサンドリッチミルクも購入。
これだけで500円硬貨が消えてしまうというのが庶民の贅沢を超越しています。
そう、僕はハーゲンダッツを食べるだけで自分が無駄遣いをしてると感じれる果報者。
自分が食してる姿を想像してニヤニヤしながらレジへ。
僕の前の方は随分と詰め込んできたらしく、氷やら米やらゼリーやら。
と、そこで問題発生。
米袋を最後に退けた時に店員の死角になったのでしょう。
打ち漏らしです。
お年玉袋のような小さな封筒はカゴに入ったまま。
客側が袋を貰う際のカゴじゃありません。
初めに用意してたカゴの方です。
レジ打ちをしていた店員(オバサン)もお客の人も商品に気付かない。
言った方がいいのかな?
いや、しかし…
お客さんからすれば店員が気付かないままにカゴに移し替えてくれれば儲けものでしょう。
逆に店員からすれば何事も問題なくいけば御の字の話です。
まぁ、経営者からすればとんでもない話ですけど。
結局、お客さんがお釣りを受け取り僕の番になってから店員が「あ!」と気付きました。
店員が駆け出そうとするものですから制止させて代わりに呼び止めに行きました。
で。
二人からは感謝されたものの、こちらは複雑です。
早めに決断すればこんなことにはならなかったのにと猛省。

偽善者とは、気付いてても行動と判断が伴わない紛い物。
悪人でもなく、善人にもなれない。
とりあえず嘆くことだけは出来ます。
まぁ。
そんなことを繰り返すつもりはありませんがね。

偽善者こと傍観者だって干渉することは出来ますから


2004/06/14

偽りの優しさ

仕事。
とにかく仕事。
資料を読んでいるか、機器の解体をしているか、出張しているか。
そういえば休憩時間とかってないですね。
車に乗ってる時間がそれなのかな。
朝五時半に部屋の扉が閉まり、夜十時に開かれる。
定時に終わらずサービス残業。
なかなか病的な生活です。
仕事が楽しいか…?
どうなんでしょうか。
一歩間違えた時の責任が年収じゃ払えません。
電話応対は「担当の者に変わります」としか言えない。
心に余裕があるから、時間に暇があるから、優しくなれる。
今までは偽りの優しさ。
優しさは優柔不断なんかでもなく、生活を持て余した代価。
寄り掛かかると倒れてしまう木片。
だって、ほら。
成功する人は皆、冷たい。
いや、そう思いこみたい。
器の小さい僕に両立は無理です。
何かを得るにはそれなりの代償が必要になってしまう。
物事の必要性を考えた場合に、どうすれば。
プライベートな時間すら取れない現状に。
人とのコミュニケーションは体力も時間も奪います。
また、それが堂々巡りの”いつもの”ものであるとしたら。
進展のないものに数値的価値はあるのでしょうか。
例え意味のない物で、お互いを繋ぎ止め、契約的なものであったとしても。
僕はこう思います。
それが”心のゆとり”に繋がる。
人間らしさ、幸福の時間。
では、僕は今。
ゆとりを失っている?
ゆとりを自ら切り離そうとしている?
目の前で大切な人が溺れていても助けない。
…助けようとも思えない。
それは脚の着く場所だとも言ってやれない。
…一人で立って欲しい。
無感動に背を向けてしまう。
…今までの僕はとうにいなくて。
時間は流れ、一期一会、前へ前へと進みます。
前に進む奴と立ち止まる奴、後ろを向いてる奴。
常に位置が変動し、相容れない。
もし。
互いに干渉出来るなら。
無駄が、ゆとりがある。
…仮に仲間が本当に溺れていたとしても。

弱いだけです


2004/06/20

男子、三日会わずば刮目して見よ

おお、いい言葉ですね。
スバラシイ。

さて、六日も経てばこの前の失言は無効でしょうか?(汗
疲れてる時に書く文というのは荒く、堅く、曲がっている。
僕の場合は普段考えなくていいことを暗く、正当化してしまいます。
さらに困ったことに普段の姿に戻った時、それを否定出来ない。
指向性はあれど自分の一面性なのです。
「あの時は失言だった」とは?
偽りの言葉でなく「言い過ぎた」ということです。
誰しもが裏表があるでしょうが、先日のが僕の裏――― カナ?
日常で「気にすることでもない」としていることを真に受けてしまう。
そしてふとした拍子で…
出来るだけ気を付けてはいます。
出来る出来ないを見極める、時間に余裕を持たせるのです。
ようは自分を追い詰めなければ普通で居られるってこと。
日記上ではありますが、今日の僕はどうですかね?
これでも正常だと感じているのですけど…
何せ十二時間も睡眠を取った上、食い放題で栄養補給もバッチリです。

―――って、何を書こうとしたかサッパリ忘れてしまいました。
言い訳を書くと他のことがおざなりになるというか…
あぁぁ、これも言い訳ですよ〜(コレモネ

つまり、大して変わらない男です


2004/07/20

弱りました

日記を幾つか書こうとしたのです。
萌え話や笑い話は現状の心境では思いつかないので真っ当な話を。
幾つか案を出し書き出すのですが、いつの間にか会社に対する批判に。
今まで何らかのネタが出てたのは学校での友人関係があったからです。
外に出て、学友らに会い、馬鹿騒ぎをし、笑ったからです。
で、今の会社ではということですが―――
…同僚と、まともな会話が出来ません。
僕自身、周知の事実で暗い人間であることは知っています。
同じように開放的なのも理解しているつもりです。
いや、それとも明るくて閉鎖的なのかな?(アリエネェ
まぁ、ともかく。
同僚君は会話をしてきません。
こちらからしても… あぁぁ…
幾つか例を出しましょう。

紀弘:「お疲れ。今日の客先はどうだった?」
同僚:「普通だよ」
紀弘:「………」

紀弘:「お、今日は妙な飲み物飲んでるな。どうよ?」
同僚:「どうって、普通だよ」
紀弘:「………」

同僚:カチカチカチカチカチカチ… ピピ
紀弘:「おい、携帯やめとけ」
同僚:「分かった」
同僚:カチカチカチカチ
紀弘:「………」

紀弘:「ブツブツブツブツ(仕事での復唱」
同僚:「何独り言言ってるんだよ」
紀弘:「あぁ、すまんすまん」

同僚:「ブツブツブツブツ(仕事での復唱」
紀弘:「独り言か?」
同僚:「お前だろうが!」
紀弘:「………」

同僚:「クックックック…」
紀弘:「何笑ってるんだ?」
同僚:「笑ってなんかねぇよ!!」

紀弘:「アレって何処いった?」
同僚:「いつも俺のせいにするなよ!」
紀弘:「いつもって、お前…(頭痛」

同僚:『試験番号の書いてあった紙無くしたから俺の分の結果見ておいて』
紀弘:『お前の番号なんか知らないぞ?』
同僚:『お前の一個後ろだから』
紀弘:『俺のも見つからないぞ?』(激しく嘘ですw
同僚:『何とかして!』
紀弘:『すまんな。明日も早いから俺は寝る。番号は明日にでも探そう』
紀弘:「おはよう」
同僚:「おはよう」
紀弘:「番号の書いてある紙見つかった?」
同僚:「いや、ない」
紀弘:「探した?」
同僚:「眠いから寝た」
紀弘:「……ほれ」(仕方ないので番号を教えました

同僚:「どっかで喰っていこうぜ」(終電間際に
紀弘:「…近場ならな。ん、あのラーメン屋でいいだろ」
同僚:「ok」(他の店は1kmくらい歩く
紀弘:「定食か。ビールもセット、ねぇ…」
紀弘:「ビールいらねぇから他の物付けろって交渉するか」
同僚:「そんなことやめてよ!」
紀弘:「なんで?」
同僚:「恥ずかしいじゃん」
紀弘:「ネタになるじゃん」
同僚:「駄目って言われたらどうするんだよ」
紀弘:「じゃあ、離れて見てなよ」
同僚:「やだよ! 俺、そういう面倒なこと嫌いなんだよ」
紀弘:「じゃぁ、諦めて帰るわ」
同僚:「一緒に飯喰おうよ!」
紀弘:「交渉するか」
同僚:「嫌だよ!」
紀弘:「お前だけ喰ってろよw」結局帰りました…

_| ̄|○
同期の同僚がこんなんかと思うと心が荒みます。
相談事も出来やしません。
いや、他力本願はいけないのですけど。
…人間ウォッチャーでもしろと?w

会社でも同僚でも愚痴になるとは…