もう一つの道  「課長、退職届けです。お受け取り下さい」 この日、仲間内でまた職を失う者が出た。すでに奈緒の元へ集まっている連中を含めると五人になる。初めから職に就かずアルバイトをしていた奈緒を除けば皆が何らかの企業に入社し、その年に退社していたのだ。今日も泣きながら会社の不満を訴える仲間を宥めつつ歓迎パーティーは始まった。 「話と違うんだよ!」この部屋にとって四回目となる台詞が響き渡った。彼らは言う「入ったところが悪かった」と。 「迷い子さん一名ご案内〜」手を広げて歓迎するメンバーは奈緒を筆頭に大蔵、紀弘、梅田だ。今日の主役は弘である。「このビッチでシットな木偶の坊め!テメェが給料入れねぇと私たちの食費に響くんだよ!!わかったら尻の穴ほぐして二丁目逝け!」「馬鹿言ってるんじゃねぇよ?俺の肌はきめ細かすぎて高級品だっての!お前を売ればいいんだよ!!」 この人身売買甚だしい発言と毒舌、信じがたいことではあるが彼らは夫婦の関係である。「あ〜どうでもいいが飯が冷える」会社を辞めたと弘が携帯で言ってきたあと、弘が自殺するんじゃないかと奈緒は何も手が付かなくなってしまったのだ。なんだかんだのと言っても心配しているのがこの夫婦。仕方なしに大蔵が調理場に立ったという話だった。 「じゃあ、イタダキマス」 大蔵の抗議で全員が行儀よくテーブルに付く。並べられた料理は何故か刺身ばかりだった。 「これからどうする?」梅田の言葉は暗に「バイトしてここでくらすんだろ?」と告げていた。 この家は五LDKが眩い土地百坪、立て地五十坪の一軒家である。働いて間もない弘の安月給やの奈緒の支援ではとてもじゃないが維持できない賃貸住宅だった。そこで五人が少しずつ出し合い、住み込むという奇妙な共同生活ができていた。 「しばらくはお前らの金を食い潰す!」 月にかかる賃貸代、生活費等はリビングにある一つの空き缶に全て入っていた。給料日になると各自がそこへ適当な分だけ入れるのだ。例え弘が全員の目を盗み拝借したところでこの生活に不自由はなかった。単に奈緒が部屋で暴れたり皆の財布から札が抜き取られるくらいである。それなりに上手くそれなりに危うくいっていたのだ。 刺身となり兜だけとなった金目鯛の目玉が投げ付けられた。「そんなもの喰えません!」弘の茶碗に山葵が盛り付けられた。「お、俺の飯がぁああ」味噌汁が鍋に戻された。「お前ら陰険だよ!職を失った者に対する哀れみはないのか!」トドメに弘の愛車MRUのエンジンキーをへし曲げた。「ああああ〜俺の愛機械!!」「働け♪」弘は負けを悟った。 「ごめん、俺が悪かった」 梅田の努力とペンチで元どおりになったエンジンキーがテーブル中央で鈍く光っていた。使えるかどうかは不明。少しねじれている。それでも未だに許せないのか「鍵、鍵ィィ!!」と絶叫する奈緒を「なんと言う力だ。抑え切れん!」「今車が使えなくなったらメイド喫茶に行けません!」紀弘、大蔵の二人がかりで肩を決めていた。 「とりあえず・・」「寝よう」「うぃ」「もつ」「また明日」 部屋は五つある。そのうち夫婦の一室は二十畳、リビングと同等の広さを誇っていた。とうぜん奈緒、弘はこの部屋で寝ることになるが、二人とも遊び好きのせいかゲーム機が散乱し荒れ放題の状態だった。また、それを遊びに来る他三人のこともあって、プライバシーというものは崩壊する。が、夫婦生活を壊すほど三人は無粋ではない。夜十二時以降は彼らの寝室から退去するのだ。「ああああ〜」や「ギャヒギャヒ!!」という声に「犯してやるよ〜」「それ以上近付いたら殺す!!」など聞くに耐えない痴話がこだまするのだ。夜中は静かに田代、これが暗黙のルールである。 「これだよこれ!」 弘が指差したのは一枚の広告だった。 「うっあ、微妙〜」 梅田は渋い顔をしている。「時給相談します」と丸文字で狙ってるとしか思われないキャッチフレーズ、仕事内容の不鮮明さ、近すぎる勤務場所。 「その手の話は・・」 世渡りの上手い大蔵も辞めた方が無難だと否定する。 「ここよぅ〜路地裏にある薬局だよ。お前もアレ買ったろ?」 弘の言う薬局は奈緒も知っていた。花粉対策用マスクや大人用パンパース等、実用性を重視したラインナップが奥様大喜び。また別の顔として、よく目を凝らすとさり気なく置かれたディルドーやラバー製品がマニアを引きつけていた・・ いや、マニアしかそれが視野に入らないのだ。 「あ〜でもアレ捨てたじゃん」 以前その店に入ったのは約束を守らない弘に対する罰ゲームからだった。「あの薬局で買った指サックに挿れて抜いたら許してやる」「そんなんでいいの!」弘は大喜びで店に入り、颯爽と怪しげな商品を見つけてしまった。それが運命の出会いの始まりだった。「ほぅ、その歳でうちの裏メニューを見つけたか!」丸サングラスに白衣の男は実に嬉しそうに近付いて来た。肩は揺れてない。かの始皇帝が使ったと言われる伝説の歩行だった。 「またあの人と話せるかと思うと!あああ!!」 興奮したのか弘はそのまま電話をかけてしまった。三回のコールの後、鍛冶屋の主人かと疑いたくなるほど野太い声が「はい。らっしゃい。○○薬局でございます」と礼儀正しく出て来た。「おっちゃん!俺だよ俺!」「な、何ぃ弘だと!?」俺俺詐欺にひっかかるにはまだまだ年数が足らぬ!足らぬのだ年数が!などと在りし日を思い出させつつ弘は本題を切り出した。「・・分かった。なら、今日の午後五時に誤字・・・ぶふ!」ダシャレに繋ごうとしたもののネタが浮かばず苦し紛れに自分が笑ってみた的な対応で電話は切れた。 「ふ・・仕事を見つけるなんてチョロいぜ」 余りの手際の良さ、後先を考えない無謀さに梅田は呆れていた。怪しげな薬局なんかより余程まともな働き先を幾つも知っていたのだ。それを言わなかったのは単にタイミングが合わなかっただけである。他の三人も同じようなものだった。 「何してるの?決まったんだよ?お祝いしてよ?」「あ〜決まったねぇ」「・・さ、バイト行くか」「お祝い!」「キスしてやるよ」「いらない!!」